こんにちは、出雲ハナガツミのあきらです。まもなく2023年5月20日0:53に新月を迎えます。
「誰だって願いごとをしていい!」
そんなの当たり前じゃん!という方には必要のない内容だと思いますが、以前の私は、私なんて願いごとをする資格がない、と思い込んでいました。
4年半前に、新月の願いごとを始めた時、なかなか願いごとが出てこなかったのは、自分の心にフタをして、頑丈な鍵をかけて、その上に重たい漬物石をいくつも乗せていたからでした。
今日は、その頃の私に、せめて漬物石を一つでも、どかす気分になってもらうために、ブログを書きました。
何を願ったっていい
4年半前、新月の夜にノートを広げて、何か願いごとを書こうとしても、なかなか出てきませんでした。
無意識レベルで、何か浮かんでは打ち消す、を繰り返していたのではないかと思います。
例えば、こんな願望があったとしても、無理に決まっているから、と言葉にするのも遠慮していました。
- 週3日だけ働いて豊かに暮らしたい。
- 毎朝、家でゆっくり朝食をとって、コーヒーを味わいたい。
- 自宅でできる仕事がしたい。
- いつも穏やかな気持ちで、笑顔でいたい。
- 世界が平和で、誰もが幸せであったほしい。
一体、誰に?何に?遠慮をしていたのでしょう。
おそらく、幼い頃から、環境の中でいつの間にか信じ込んでしまったこんな価値観から、素直な願望を打ち消すことが当たり前になっていたのだと思います。
「生きるのは大変なこと」「楽な仕事なんてあるわけがない」「怠けているとバチが当たる」「いいことばかりあるわけがない」「目標は苦労して達成するもの」「夢を叶えられる人なんてほとんどいない」「頑張っている人が偉い」
こうした価値観は、どれも窮屈で、楽しくなくて、なんか違うと思うんだけどな、と感じていたものの、否定する自信も勇気もありませんでした。
でも、世の中は移り変わり、個人の価値観が尊重され、生き方、幸せのあり様は多様であることが認知されるようになりました。
もういい。もう終わり。何を願ったっていい。迷ったら楽な方を選んで、心地よい方に進めばいい。
願いごとに、資格なんていらない
私には、願いごとをする資格がない。という思い込みをしていました。
資格がない根拠として挙げていたのは、例えばこんなことでした。
- 友だちを傷つけたり、不義理をしたことがある。
- 長続きした趣味も仕事もない。
- 何でも中途半端で、誇れる特技がない。
- 貯金が少ない。
- 容姿がイマイチ。
今となっては、プッと笑ってしまうのですが、本気でこんなことを考えていました。
そもそも、願いごとをしていい人、してはいけない人、などはありません。
誰もが、幸せになるために生まれてきたし、誰もが、願いごとをしてもいい。
どんな人にも、人には言えない過去があったり、自信を持てないところはあると思います。
でも、未来に希望を持っていいし、夢を見ていいのです。
今日が一番若い日
私は、自分のことを「おばさん」と言ったり、「もうこの歳だから」という言葉は使わないと決めています。
そして年齢を全く気にしていないふりをしています。
実は、正直に打ち明けますが、年齢をとても気にしています。
でも、年齢を気にすると、願いごとに制限をかけてしまうので、発想を転換する努力を続けています。
どういう発想かというと、年齢より、この先の命の時間を大切に考える、ということです。
年齢とは、この世に生まれてきてからの年数のことで、年を重ねることを「老いる」と表現されます。
ところが、今日を起点に、この先の人生を考えると、今日が一番若い、ということに気づきます。
いつも今日が0歳なのです。
この先、命の時間がどれだけあるのか、年齢に関係なく、誰もそれを知りません。
年齢を理由に、願いごとをあきらめるなんて、あまりにもったいない!
今日が一番若いのだから、堂々と願いごとをしよう!
ただし、主語は”私”で!
いつでも、どんな自分でも、願いごとをしていい!と語ってきましたが、一つだけ大切なルールがあると思っています。
それは、願いごとの主語は自分である、ということです。
例えば・・
- 苦手な上司が異動になりますように。
- お母さんが優しくなりますように。
どちらも、主語は他人です。
他人が主語の願いごとは、叶えることができないと思っています。
だから、こんなふうに言い換えます。
- 私が毎日楽しく仕事ができるようになりますように。
- お母さんが思わず優しくしたくなるような私でいられますように。
願いごとが叶うのは、願って、行動するからなので、自分が主語であることが大前提になります。
人は、誰もが自分の意思で行動しますから、他人の行動を思い通りに変えるはできません。
でも、自分が変わった結果、他人の行動が変わる、ということは起こりうることです。
遠回りに感じるかもしれませんが、自分のあり様が変われば、人間関係は確実に変容していきます。
どんな自分でありたいか。自分は何をしたいか。
願いごとは、
あくまで、
自分を主語に!
夢は未来の日常になる
ずっと前に、そんなの夢でしかない、と思っていたことが、今の日常になっていることに気づくことがあります。
田舎暮らしを夢見始めたのは、20代の頃でした。
仕事で小笠原諸島に出張した時、満天の星空の下、見渡す限り水平線しかない景色に、こんなところで暮らしたい、と思ったのが始まりでした。
それから20数年間、自分には縁がないとため息をつきながらも、田舎に移住した人の話を読んだり、テレビ番組を観るのがずっと好きでした。
2年前、ようやく移住を決意した時は、年齢のこと、お金のこと、仕事のこと、親のこと、体のこと、一人暮らしの不安など、乗り越えなければならない自分の中の課題がありました。
それでも、今世のうちに叶えたい!、と自分に正直になって願いごとをして、行動をして、今に至ります。
夢は、自分が叶えると決めたら、必ず実現して、未来の日常になる!
これからも私は、心に正直に、素直に、堂々と、願いごとをして、それを未来の日常にしていこうと思っています。